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福岡地方裁判所小倉支部 昭和54年(わ)396号 判決

被告人 米村トキ子

昭八・九・二五生 レストラン従業員

主文

被告人を罰金五〇、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、内縁関係にあつた野口春男との間に昭和四九年五月二五日糧子が出生し、同年六月七日野口が糧子を認知したところ、その後内縁関係が破綻して野口と別居し、さらに、詐欺事件で逮捕、勾留されるに至つたため、野口が尼崎市において糧子を事実上監護し、昭和五一年七月二〇日には神戸家庭裁判所尼崎支部において、糧子の親権者を野口と定める旨の審判がなされたが、これに対し即時抗告を申立て、その係属中の同年九月一八日、野口の監護のもとにあつた糧子を連れ去り、同年一〇月一八日、大阪高等裁判所において、右即時抗告を棄却する旨の決定がなされて前記審判が確定し、野口が単独親権者となつたのちも、北九州市八幡西区黒崎四丁目一番一〇号の当時の自宅において、引き続き糧子を監護していたものであるが、親権者である野口の人身保護法に基づく請求により、昭和五三年一月二六日、神戸地方裁判所尼崎支部において、拘束者である被告人及び被拘束者である糧子の不出頭のまま、糧子を釈放し、野口に引き渡す旨の判決が言い渡され、翌日、右判決の内容を知りながら、直ちにこれに従わず、右判決に対し上告し、同年四月七日、最高裁判所において、右上告を棄却する旨の判決があり、前記判決が確定したのちも、同年九月一六日まで、野口の引渡の要求を拒絶し、引き続き前記の自宅において、意思能力のない糧子を同居させて拘束を続け、もつて、人身保護法による救済を妨げる行為をしたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

一、構成要件該当性がないという主張について

(一)  まず、弁護人は、人身保護法二六条の犯罪行為の客体は被拘束者であるところ、被告人の糧子に対する監護は同法及び人身保護規則にいう「拘束」に当らず、糧子は被拘束者ではないから、被告人の行為は構成要件に該当しない旨主張する。

しかし、同法二六条の犯罪構成要件は「被拘束者を移動、蔵匿、隠避し、その他同法による救済を妨げる行為」をすることであるが、右の救済を妨げる行為とは、裁判所が被拘束者を不法な拘束から現実に免れさせて、身体の自由を回復させるために、同法一〇条一項に定める仮の処分、同法一二条二項に定める人身保護命令、同法一六条三項、同規則三七条に定める判決をし或いはこれらを実現する行為等を妨げ、右の身体の自由の回復を事実上困難にし又は不能にする行為をいうものであり、その保護法益は被拘束者の身体の自由であるが、その行為の客体は、被拘束者に限られず、裁判所、請求者、拘束者或いは第三者もまたその客体となるのである。ただ、本件においては、前判示のとおり、糧子が行為の客体であるが、前判示の神戸地方裁判所尼崎支部が昭和五三年一月二六日に言い渡した人身保護請求事件の判決が確定したことによつて、意思能力を有しない糧子に対する被告人の監護が同法及び同規則にいう拘束に当り、糧子は同法二条の救済請求権を有する被拘束者であることが確定しているのである。

したがつて、弁護人の右主張は採用することができない。

(二)  次に、弁護人は、同法二六条の構成要件は作為犯を定めているものであり、被告人の行為は糧子を引き渡さないという不作為であるから、右の構成要件に該当しないと主張する。

なるほど、前記のとおり、同条の犯罪構成要件である「救済を妨げる行為」は作為の形式で規定されている。しかし、ある人が人身保護手続において裁判所から一定の作為義務を課せられた場合には、その者の右の義務に違反する不作為も救済を妨げる行為に該当するものといわなければならない。同法一六条三項の人身保護請求を認容する判決は、被拘束者の有する救済請求権に基づき裁判所が自ら被拘束者の釈放という状態を形成する判決であるが、本件の前提である前判示の神戸地方裁判所尼崎支部の判決は、同規則三七条により、被拘束者糧子を釈放するとともに、請求者野口春男に引き渡す旨宣言した判決であり、これは被拘束者糧子が意思能力のない幼児であるので、その身体の自由を回復するための適当な処分として、糧子の釈放と引渡を宣言したものであり、それを実現するために、裁判所は、予め、同法一二条二項に基づく人身保護命令により被拘束者糧子を裁判所の支配、監護に移したうえ、拘束者である被告人に裁判所の指揮の下に引き続き糧子の監護を委ねていたので、被告人に対し糧子を野口に引き渡すことを附随的に命じたものである。すなわち、被告人は、裁判所が糧子を釈放するのを受忍し、糧子を野口に引き渡す義務を課せられたのである。したがつて、前判示のとおり、被告人が糧子を自宅において同居させて拘束を続けた行為は、作為によつて裁判所の釈放状態を形成する行為を妨害するものであるとともに、引渡義務に違反する不作為によつて前記判決による救済を妨げる行為をしたものである。

したがつて、弁護人の右主張は採用することができない。

(三)  さらに、弁護人は、本件公訴事実中に「昭和五三年九月一六日、野口が弁護士石田法子を伴い、被告人と面談のうえ、糧子の引き渡しを求めた際、被告人方前路上において、糧子を抱いていた野口から奪い取り」と記載されている点について、野口は民事訴訟法による強制執行手続によるべきであるのに、このような法律手続によらず、被告人の意に反して実力で糧子を連れ去ろうとしたのであるから、これは違法な行為であり、これを阻止するためにとつた被告人の行為は構成要件該当性がないと主張する。

当裁判所は、右の公訴事実の記載は、野口が前判示の神戸地方裁判所尼崎支部の判決に基づき糧子の引渡を要求したのに、被告人がこれを拒絶する意思を態度で現わした事実を記載したものと解し、前判示のとおり認定したので、右主張は、前判示認定事実を前提とするものではないから失当であるが、後の主張に対する判断の便宜上、一応付言する。

前提証拠によると、野口は、昭和五三年九月一六日、被告人方を尋ね、被告人と糧子を伴つて外出したうえ、喫茶店などで話し合い、当日同行した弁護士石田法子と共に、被告人に対し糧子の引渡を求めたが、被告人はこれに応ぜず、被告人及び糧子と共に被告人方に向い歩いている途中、野口が被告人に対し糧子を抱かせてくれと申し出たうえ、同女を抱き上げて歩いているうち、そのまま反転して同女を連れ去ろうとしたところ、被告人は、わずかの間野口と糧子の引つ張り合いをしたうえ、同女を取り返えしたことが認められる。

しかし、前判示のとおり、野口は、家庭裁判所の審判により単独親権者となり、人身保護請求事件の判決において、被告人は糧子を野口に引き渡すことを命じられ、野口は、その反射として、糧子を受け取り監護すべき旨定められたものであり、被告人には糧子を監護する権限がないことが明白となり、同女を支配し監護を続けることは違法であることが確定したのである。ところが、同法及び同規則には、前記人身保護請求を認容する判決の内容を強制的に実現する執行方法の定めがなく、民事訴訟法の強制執行に関する規定も、その性質上準用がないものと解されるので、野口としては、自己の権利を実現する方法に苦慮していたものである。したがつて、前記認定の野口の行為は、若干不穏当な面も窺われるが、糧子の自由を侵害するものではなく、もとより刑法上の略取誘拐罪に当るような違法な行為ではなく、その権利の行使の範囲に属するものと解され、これに反し、糧子を監護することが違法であると宣言された被告人が糧子を取り返えした行為は、前記の人身保護請求事件の判決による救済を妨げる意思を現わした行為として、本件構成要件に該当する行為の一部であるといわなければならない。

したがつて、弁護人の右主張は採用することができない。

二、違法性阻却の主張について

弁護人は、前記一の(三)に認定した野口が糧子を連れ去ろうとした行為は、違法であるから、これを阻止するためにとつた被告人の行為は、自力救済行為であり、また、被告人が糧子を養育している事実はそれ自体法の保護を受けるに値し、これを実力で侵害する野口の行為は不正かつ急迫な侵害であり、被告人の行為は右の法益を守るためにやむを得ず行つたものであるから、正当防衛行為であると主張するが、前記一の(三)に説示したとおりであるから、いわゆる自救行為の観念をいれる余地はなく、また、被告人の行為は、違法状態を維持するため出たものであるから、正当防衛行為ということはできない。したがつて、弁護人の右各主張は採用することができない。

三、弁護人は、野口と被告人は昭和五三年九月一六日以降、仲睦ましく付き合い、野口は糧子の監護を全面的に被告人に委ねているので、前記人身保護請求事件の判決は形骸化していると主張しており、これは、被告人の行為は可罰性が消滅したということのようである。

なるほど、証人野口春男及び被告人の当公判廷における各供述によると、野口は、昭和五三年九月一八日、北九州市において、被告人及び糧子と共に交遊し、同年一一月から昭和五四年九月までの間、一〇回にわたり、数日間宛、野口の居住する尼崎市周辺或いは被告人の居住する北九州市で被告人及び糧子と共に交遊し、その間被告人とは情交関係も結んでいることが認められるが、これは、野口が被告人との融和を図り、糧子の引渡を任意に履行してくれることを期待したうえでの行動であると認められ、いまだ野口が糧子の監護を被告人に委ねたものとまでは認められない。

ところで、人身保護請求は、被拘束者の救済請求権に基づくもので、被拘束者以外の者が右の請求をする場合も、被拘束者のため訴訟を追行するものであり、また、裁判所は、被拘束者の利益のため釈放の状態を形成する判決をするものであつて、判決後はこの請求を取り下げることはできないのである(同規則三五条一項参照。)。したがつて、本件のように、意思能力を有しない幼児のためにその親権者が請求者となつて人身保護請求をし、「被拘束者を釈放し、請求者に引き渡す。」との判決がなされた場合、右の親権者といえども判決の内容に従わなければならず、その意思によつて判決の効力が左右されるものではない。そこで、右の判決の場合、請求者である親権者が被拘束者の引渡を受けないまま、その監護を拘束者に委ねることはできず、かりに右の監護を委ねたとしても、これによつて判決の効力が失なわれるものでないことはいうまでもない。そして、請求者が被拘束者を受け取ることを拒否するものでない限り、拘束者は請求者に被拘束者を引き渡すべき義務を免れず、右の引渡しをしない限りは、人身保護法二六条に定められた救済を妨げる行為としての犯罪は終了するものではなく、その可罰性も消滅するとはいえない。ただ、幼児である被拘束者が長じて意思能力を有するに至り、同人自ら拘束者の監護に服する意思を自由に表示した場合(同規則五条参照)、或いは家庭裁判所の親権者又は監護者変更の審判により拘束者が親権者又は監護者となつた場合には、その時から新たな法律関係が生じたものとして、前記の判決の効力は消滅し、救済を妨げる行為としての犯罪は終了するものと解されるが、もとより、本件において、右のような事由は生じておらず、本件弁論終結時においても、被告人は意思能力のない糧子を不法に拘束しているものである。

以上のとおりであるから、弁護人の右主張も採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示行為は人身保護法二六条に該当するもので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金五〇、〇〇〇円に処し、右の罰金を完納することができないときは、刑法一八条により、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。

(量刑の理由)

被告人の本件犯行は、意思能力のない幼児の監護に関連する人身保護請求について、拘束者として、被拘束者の釈放及び引渡の判決を受け、さらに、上告審の判断も受けて確定し、もはや争いの余地がなくなつたのに、右判決に従わず、不法な拘束を続けているもので、これは、実力行使による子の奪い合いを止めさせ、子の監護に関する秩序を子の幸福を主眼として維持しようという人身保護制度を無視するもので、その反規範的な態度を軽視することはできない。ことに、被告人は、これまで文書偽造罪及び詐欺罪で二回懲役刑に処せられて、その刑の執行を猶予されており、糧子の監護をめぐつて、野口春男と意見が対立したのは、被告人が第一の刑の執行猶予期間中、さらに、二〇回にわたり、詐欺罪を犯したことが大きな原因となつており、被告人が糧子の監護権を失うに至つたのは、自ら招いた事態であつて、これを反省することなく、再度刑の執行猶予の判決を受けるや、翌日、野口の不在中、糧子を実力行使に近い方法で連れ去つたものである。そして、被告人は、当公判廷においても、糧子を野口に引き渡す意思はない旨公言しており、その人格態度は相当の非難を免れないものである。本件については、昭和五三年四月、野口の告訴により捜査が開始されたが、検察官が当事者間の円満な解決を期待し、被告人に対し野口との話し合いを勧めたのに、被告人は、かたくなに糧子の引渡を拒否し、その間相当の日時を経たため、結局、前記人身保護請求事件の判決の執行方法としての面では、本件犯罪による処罰はその実効性が薄れたけれども、以上のような本件犯行の経緯、態様、被告人の反規範的態度を考慮すると、被告人は相当の処罰を免れないものと考える。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 福嶋登)

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